パートナー代表の高橋俊哉です。9月に入っています。朝晩は秋の気配が漂ってきていますが、日中はまだまだ夏の名残で蒸したり、汗が噴き出たりもしますから水分補給などしてケアされてお過ごしください。世間では凶弾に倒れた阿部元首相の国葬の是非について、毎日のように報道されています。この不幸なできごとが起因となり、旧統一教会と政治家の癒着の問題がクローズアップされています。その根本には新興宗教の在り方や信者の家族関係への影響などが改めて問われています。そもそも何で宗教を信仰するのか、という疑問にも辿り着きます。このことは大変難しい問題で、カウンセラー高橋ごときが軽々に述べることではないのですが、人を信じること、神や仏を信じること、について書いてみたいと思います。

1.人を信じることで救われるということ。:前述した旧統一教会の霊感商法問題やTVで報道される詐欺事件などをみると、この世の中は悪意に満ちたとても危険なものなのだから、簡単に人を信用せず、まずは疑ってかかることで被る被害が防げるように思えます。ところが、社会心理学では、人を信じる人ほど、人間関係が広がりやすくなり、いろいろな価値観や世界をすることができるようになり、人生も豊かになるということが明らかにされています。とりあえず人を信じてみようと考える人は、実は相手が信頼に足る人物かどうかを見極める能力が高く、反対に疑り深い人ほどその能力が低いことが分かっているのです。高橋ももちろん今までに人に裏切られた経験もありますが、まずは人を信ずることで、人と関わることを続けてきたので、人の真贋に対する目が養われて、結果的に信ずるチカラが高まるように感じています。人を疑ってばかりいると、この信じるチカラが弱くなってしまうようです。仕事や自分を取り巻くコミュニティに限らず、婚活においてもこれは大事なことなのです。お見合からお付き合いに進んだ場合、お相手を信じることは必要不可欠です。結婚の前には恋愛関係になることが前提ですが、お相手のことが好きになったからにはお相手を信じ、恋に落ちた自分自身を信頼することが、人間的な成長に繫がり、更にお二人の関係が進んで成婚退会に至るかどうかの重要なポイントとなるのです。

2.神や仏を信じることで心が安定する。:日本人は特定の宗教をもたず、約70%の人が無宗教だと言われています。一方、年が明けて神社仏閣に行って初詣をする日本人もまた約70%だということです。これはどういうことを意味するのでしょうか。宗教学では、宗教を、自然宗教と創唱宗教に分類することがあります。前者は、初詣に代表される、地域や家庭で伝承されてきた習慣のことを意味し、後者は教祖や教団があるいわゆる宗教のことです。日本人が、無宗教です、という場合、自然宗教には日ごろから触れていても、創唱宗教とは距離を置いているということが多いのではないでしょうか。海外では、無宗教という人はほとんどいないようです。日本人には無宗教が多いのは、戦前の国家神道の影響が大きいようです。高橋自身、宗教のことは、はまると恐ろしいのかな、という漠然とした意識があり、勤め人の時代は宗教関係の本を読むことを避けてきました。ある年代を過ぎてから、神社仏閣に行った時に心の安らぎを覚えたり、日常生活での不安にどう構えたらよいのかと考えるようになり、仏教の本を読むようになりました。仏陀のことから入り、今は親鸞の浄土真宗初期を教えを説いている、歎異抄を繰り返し読んでいます。歎異抄は実に多くの作家や学者の解説書がありますので、それらを参考にして心のよりどころとしています。

アメリカの研究では、信仰心のある人は、●精神的に安定する ●体の健康にいい ●孤独感が少ない、のだそうです

神社仏閣で購入できる、お守りや開運グッズなどは、持っていると「安心感」や「きっとできる!」などと思えるようになれるようです。心理学でいう自己効力感が上がるということに繫がるのかもしれません。

ガンの自然寛解(しぜんかんかい)した人たちに、何をされたのですかということを聞くと、第一位は祈ること、という答えだったのです。(自然寛解とはガンが完治した状態のことをいうのです。)この祈りのメカニズムはまだ研究途上のようですが、お寺や神社をお参りして、心静かに手を合わせるだけでと気持ちがよいものですし、心が澄んできて「今日もがんばろう!」「今年こそやるぞ!」と気持ちも引き締まるものです。

人や大きな存在を信じることは、自分自身にプラスに作用し、心の安寧をもたらすものだと思います。

婚活や人生、日頃の構えとしていかがでしょうか。