パートナー代表の高橋俊哉です。2月も最終盤、朝晩の寒さが身に沁みますね。それでも朝散歩に出てみると、日差しの暖かさが心から有難く感じられます。コロナ禍が続く中、人の少ない時間帯、場所を選んで歩くことを続けています。歩いて帰ってからいただく朝食の美味しいこと!ご飯と味噌汁と納豆と目玉焼。これだけでも十分ですが、シラス干しや焼き鮭があれば…。お替り注意ですね!(笑)さて、今日は、生きていくうえでも、婚活をしていくにも、自分はどうしたいのかを考えていきましょう、ということについて書いてみます。何のために生きるのか、という根本的な問いに対する私なりの考えです。この問いに対しては、古今東西の哲学者や宗教家や教育者や経営者や作家や各分野の指導者などがそれぞれの考えを披歴してきました。齢を重ねた高橋も思うところを書いてみます。

1.生きていくことは苦労や厳しいことがつきもの、だからこそ成長できると考える。:楽しく順調にいっているときは生きる意味は必要としません。目の前の楽しいことやうまくいっている事実を享受するだけで良いからです。でもそれは永遠に続くわけではありません。良いことと悪いことは交互にやってくるものです。辛く厳しい状態になったときに初めて自分の人生が立ち現れてくるものです。そこからが本当の人生が始まるのです。順風満帆の時は見えなかったものが見えるようになり、他者を思いやる心、感謝の気持ち、他者を許す気持ち、小さな変化に気づくことなどができるようになり人として成長することができるのです。婚活も失敗を重ねていくうちにうまくいくようになるものです。

2.自分の責任で生きていく。:人生の最終盤を迎えた人たちに、人生で後悔していることは何かと尋ねてみると、〜をしておけばよかった、という答えが大半であるということを聞いたことがあります。〜とは何でしょう。〜=自分がやりたかったこと、なんだそうです。様々なシガラミに縛られて生きていると時はあっという間に過ぎ去ってしまいます。親、社会の風潮、周りからの意見などに振り回されてはいけないのです。結局人間は自分のやりたいように自分のチカラで自分の責任で生きていくことが、結果的に一番楽で後悔しない人生に繋がると思います。

3.人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎない。:山本周五郎の『柳橋物語』の中で、過酷な運命に翻弄されるおせんに、女友達がかける言葉が「どうせ生きている間のことじゃないの。」というものです。これは、だから面白おかしく生きていく方がよい、という意味にも、だから辛くても辛抱するしかない、という意味にも取れます。趣味より仕事、家族より会社、自分の都合より皆の都合を優先しがちですが、それを続けていくと、そこには風が吹いているだけ、という状態になってしまうでしょう。私の好きな都都逸に、何をくよくよ 川端柳 水の流れを見て暮らす、というのがあります。これは坂本龍馬の作とも高杉晋作の作とも言われていますが、悲しげに見える川端の柳に、君はとても良い場所にいるじゃないか、柳に風というように、何があってもしなやかに心か軽やかに生きましょう、というような意味だと思います。自分のために、自分のやれることを、自分のペースでやっていけばよいのです。当たり前に生きていること自体既に凄いことなのです。自分のために生きられる人しか他人のためには生きられないものなのですから。

仏教でも一番に幸せになるべきは自分自身であると教えています。

自分を磨き、成長していくことが、人生でも婚活でも最も大切なことなのです。