パートナー代表の高橋俊哉です。皆さんは幸せですか?幸せになりたいですか?幸せになるために努力していますか?こんな風に大上段から質問されると困ってしまうかもしれませんね。今日は『幸せ』について考えていきたいと思います。『幸せ』の定義はというと、色々あると思います。この問題は大テーマですし、私個人としてももちろん大変興味のあることなので、様々な本を読んだりしながら勉強しています。先ほど定義と書きましたが、幸せとは、ほにゃらら、ということなのである!と言い切れるものではないのではないかと最近感じています。つまるところ、本人がどう思っているか、どう捉えているかによるのではないか、と考えるようになりました。同じ現象や状態でもどう思うかで、全く変わってしまいます。よく使われるたとえですが、コップに水が半分になったとき(吞兵衛の人は中身がお酒だとイメージすると実感が増しますね!)まだ半分あるぞ!と思うか、ありゃ、あと半分しかないや…。と思うか。ものごとをプラスに捉える、楽観的に捉える、前向きに捉えると幸せになれるような気がします。だからどんな状態でも前を向いていられるわけですね。(古くは黒鉄ヒロシの安心理論、最近はサンドウィッチマンのカロリー0理論でしょうか?ちょっとちがうかな?(笑))日常生活で考えてみると、忙しい毎日を送っている場合、余裕がなくバタバタだ、と思うのか、結構充実しているぞ、と思うかで全く違います。忙しい理由が勤め先の仕事が主たる要因だとすると、「上司は口うるさいし、給料は安いし、仕事もつまらない…。」「それなら辞めますか?」と聞かれると、「そうする気はないよ、これ以下の給料では困るし、再就職先も見つかるかどうかわからないし、世話になっている先輩、気の合う同僚もいるし…。」これって本当は勤め先の良いところが分かっていて、認めているっていうことですよね。そこそこの給料もらえて、自分でも勤まっていて、先輩・同僚にも恵まれている。この点に目を向けていけば、仕事にももっと前のめりで頑張れるようになるのではないでしょうか。その結果、上司の評価も上っていくこともあるでしょう。他人と比較してみても始まらないのです。隣の芝生は青くみえるもので、困難や苦労や悩みを抱えていない人はいないのです。生きていくということは苦労を重ねていくことなのです。お金がいくらあっても、地位や名誉があっても、大邸宅で贅沢な暮らしができても、物質的なことを求め出せばきりがないので、永遠に幸せになれないことになります。思わぬ大金を宝くじなどで得た場合、多くの人が不幸になったり、身近にいる最も大切な人に不幸が訪れてしまうということが、枚挙にいとまがないほど報告されています。今の状態が幸せかどうかは自分の考え、心構え次第なのです。ですから、一人であっても、パートナーがいてもそれぞれに長所と短所がありますから、幸か不幸か一概には言えないということになります。ただ、人間は一人では生きていけないものです。どこかで社会と繋がっていることが必要ですし、孤独が人の心や身体を蝕むということも医学的にも証明されています。先の菅総理の国会答弁で、日本でも孤独担当大臣が明確に位置付けされるような状況になってきています。

幸せだと思えれば幸せになれるのです。

素敵なパートナーとその思いを強くしませんか?