パートナー代表の高橋俊哉です。
8月も10日となり、夏休みの方も多いと思います。今年も厳しい暑さが続いています。目がくらむような強烈な日差しの中に身を置くと溶けてしまいそうです。(笑) そんな時だからこそ、少し立ち止まり、自分は何を大切にして生きているのか、人生をどのように見ているのかを考える時間も大切なのではないでしょうか。大切なお休みの間に、日常を離れ、暫し心静かな時を過ごしたいものです。私は、そんな時にこそ古典や哲学、宗教の智慧に触れることが大切だと思っています。何百年、何千年という時間を超えて残ってきた言葉には、今を生きる私たちの悩みにも通じるものがあるからです。
今日は、日本を代表する思想家の一人、空海について考えてみたいと思います。空海というと、弘法大師として知られ、高野山を開いた僧侶というイメージが強いかもしれません。しかし、空海が残した著作を読んでいくと、単に「こう信じなさい」と教えた宗教家ではなく、人間とは何者なのか、世界とは何なのか、そして私たちはどう生きるべきなのかを徹底的に考え抜いた思想家であったことが分かります。
今回私が特に考えてみたいのは、今日の私たちに伝えられている仏教の流れ、仏陀の悟りから始まり、大乗仏教の祖とも言われる龍樹によって深められた「空」という智慧、そしてそこから空海が提示した「真言」という世界観です。
少し難しい話に聞こえるかもしれません。しかし、これを人生や婚活という身近なところまで降ろして考えてみると、実に味わい深い智慧が見えてきます。
仏教の出発点には、仏陀の大きな気づきがあります。
私たちは、思い通りにならないことに苦しみます。愛する人と別れることもあります。老いていきます。病気にもなります。努力しても結果が出ないことがあります。婚活でも、会いたい人に会えない、良いと思った相手から断られる、何度お見合いをしてもうまくいかない、といったことがあります。
仏陀は、人間が苦しむ原因を深く観察しました。そして、すべてのものは固定された存在ではなく、さまざまな原因や条件が重なり合って生じ、また変化していくことを見いだしました。
これが「縁起」という考え方です。
私たちはつい、「私はこういう人間だ」と思っています。
私は内向的だ。
私は人付き合いが苦手だ。
私は恋愛に向いていない。
私はもう年齢的に難しい。
私は失敗ばかりしている。
しかし、それらは本当に永遠に変わらない「自分」なのでしょうか。
昨日の自分と今日の自分は同じように見えて、実は違います。出会った人によって考え方が変わることもあります。経験によって人柄が変わることもあります。苦しい出来事を経験したことで、以前より人の痛みが分かるようになることもあります。
仏陀の智慧は、「あなたはこういう人間だ」と固定するのではなく、「あなたも世界も、関係の中で変化している」と教えてくれているように思います。
そして、この仏教の智慧をさらに深く掘り下げた人物が、龍樹(ナーガールジュナ)です。
龍樹が大乗仏教の思想として徹底的に説いたのが「空」です。
「空」という言葉を聞くと、「何もない」「無」という意味に思われるかもしれません。しかし、仏教でいう空は、単純な「無」ではありません。
すべてのものには、それだけで独立して存在している固定的な本質がない。
さまざまな条件や関係によって存在している。
それが「空」という考え方です。
例えば、「自分」という存在を考えてみます。
自分一人で自分が存在しているわけではありません。
親がいて、家族がいて、学校があり、仕事があり、友人がいて、出会った人がいて、さまざまな経験があって、今の自分があります。
つまり、「私」という存在も、無数の縁によって成り立っています。
そう考えると、「私はこういう人間だから、もう変われない」という考え方が、少しずつ緩んできます。
これまでの人生がどうであったとしても、それが未来の自分を完全に決定するわけではない。
今までの自分は、これまでの縁によって生まれた自分です。
これから新しい縁が生まれれば、これからの自分もまた変わっていく。
これは婚活を考えるうえでも、とても大切なことではないでしょうか。
「私は今まで恋愛がうまくいかなかったから、これからもきっと無理だ。」
そう決めてしまえば、可能性はそこで閉じてしまいます。
しかし、空の智慧から見れば、「今までうまくいかなかった自分」というものも、固定された存在ではありません。
新しい人と出会い、新しい経験をし、新しい自分を知る。
そこから人生が変わることは十分にあり得るのです。
そして、ここから空海の世界に入っていきます。
空海は、龍樹らによって深められた「空」の智慧を受け継ぎながら、さらに一歩先へ進みました。
それは、「すべてが空なのだから、何もない」というところで終わらないことです。
では、空を知った私たちは、この現実世界をどう生きればよいのか。
空海は、そこに「真言」という智慧を提示しました。
空海の代表的な著作には、『十住心論』『秘蔵宝鑰』『即身成仏義』『声字実相義』などがあります。
中でも「即身成仏」という思想は、空海の世界観を理解するうえで非常に重要です。
「成仏」というと、死んだ後に別の世界へ行って仏になるというイメージを持つ方もいるかもしれません。
しかし空海は、「この身、この人生のまま仏になり得る」という可能性を説きました。
これは、とても力強い思想です。
「今の自分では足りない。もっと立派な人間にならなければ幸せになれない。」
私たちは、そんなふうに考えてしまいがちです。
もっと若ければ。
もっとお金があれば。
もっと仕事ができれば。
もっと美しければ。
もっと自信があれば。
もっと条件の良い相手と結婚できれば。
そうやって「今の自分」を否定しながら、未来のどこかに幸せを探します。
しかし空海の「即身成仏」という思想は、もっと根本的なことを教えてくれているように思います。
仏になる可能性は、遠い未来にあるのではない。
今ここにいる自分の中に、すでに仏へ向かう可能性がある。
もちろん、これは「何もしなくてもいい」という意味ではありません。
むしろ逆です。
今この瞬間の自分を大切にし、今ここで生きることが重要になるのです。
そして、ここで「真言」が出てきます。
真言とは、文字通りには「真実の言葉」です。
空海は、言葉を単なる情報伝達の道具として捉えていませんでした。
『声字実相義』という著作では、声や文字と、そこに現れる真実の世界との関係を深く考察しています。
私たちは普段、言葉を何気なく使っています。
「私はダメだ。」
「どうせ無理だ。」
「また失敗する。」
「自分には魅力がない。」
こうした言葉を何度も自分に聞かせていると、いつの間にか、それが「自分の現実」になってしまうことがあります。
以前、このブログで『こうして無意識が現実になる』という本を取り上げました。
また、唯識についてもお話ししました。
人は、自分の心を通して世界を見ています。
そして、その心に毎日どんな言葉を与えているかは、とても大切です。
ここに空海の「真言」という智慧を重ねることができます。
言葉は単なる言葉ではない。
言葉は、自分の世界をつくる力を持っている。
だからこそ、どんな言葉を発するのか、どんな言葉を心に置くのかが大切なのです。
もちろん、「前向きな言葉を言えば、すべて願いが叶う」という単純な話ではありません。
人生には、努力だけではどうにもならないことがあります。
病気もあります。
別れもあります。
失敗もあります。
悲しみもあります。
それらを無理に「良いこと」に変換する必要はありません。
しかし、同じ出来事を経験しても、「私はもう駄目だ」と言い続けるのか、「ここから何を学べるだろう」と考えるのかによって、その後の人生は変わっていきます。
言葉は、現実を魔法のように変えるのではありません。
言葉が、自分の心の向きを変える。
心の向きが変われば、見えるものが変わる。
見えるものが変われば、行動が変わる。
行動が変われば、人との関係も変わる。
そして、その積み重ねが人生を変えていく。
私は、真言の智慧を現代の人生に生かすなら、そういう意味で捉えてみたいと思います。
婚活でも、これはとても大切です。
お見合いで断られた時、「また駄目だった」と言うのか。
それとも、「今回はご縁がなかった。でも、お会いできたことには意味があった」と受け止めるのか。
出来事そのものは同じです。
しかし、その言葉が次の自分をつくります。
「私は誰からも選ばれない」と思いながら次のお見合いに行く人と、「まだ会っていないだけ。次のご縁を大切にしよう」と思って行く人では、表情も会話も相手への接し方も変わってくるでしょう。
そして相手にも、その違いは伝わります。
婚活で大切なのは、相手から「選ばれる自分」をつくることだけではありません。
自分自身が、自分を見捨てないことです。
「私はこういう人間だから」と自分を固定しない。
「もう遅い」と未来を閉じない。
「今回断られたから、これからも駄目だ」と結論を出さない。
これは、龍樹の「空」と空海の「即身成仏」を人生に生かす一つの方法なのかもしれません。
「私」という存在は固定されていない。
だから、これから変わることができる。
そして、変わる可能性は、遠い未来ではなく、今ここにある。
さらに空海の智慧で私が好きなのは、「世界を否定して悟りを目指す」のではなく、この現実世界そのものの中に仏の世界を見るところです。
山も川も、人も言葉も、音も、身体も、日々の暮らしも、すべてが仏の世界と無関係なのではない。
むしろ、この現実の中に真実が現れている。
そう考えると、婚活も単なる「結婚相手を探す活動」ではなくなってきます。
一人の人と出会う。
話をする。
相手の人生を知る。
自分の弱さを知る。
時には断られる。
喜ぶ。
落ち込む。
また立ち上がる。
その一つひとつが、自分という人間を深めてくれる縁になります。
結婚できたら成功。
できなければ失敗。
そんな二元論ではなく、その道のりそのものに意味があるのではないでしょうか。
これは、以前ご紹介した荘子の「万物斉同」や、モーパッサンの『首飾り』にもつながっています。
人生の出来事に、最初から「幸福」「不幸」「成功」「失敗」という札が貼られているわけではない。
私たちは途中を生きています。
だから、今起きていることの意味を急いで決めなくてもよい。
空海の智慧を学んでいると、そんなふうに思えてきます。
そして、最後にもう一つ。
「真言」とは、特別な人だけが唱える神秘的な言葉として遠ざける必要はないのではないでしょうか。
私たちの日常にも、「自分を生かす言葉」はあります。
「ありがとう。」
「大丈夫。」
「今日もよくやった。」
「ご縁に感謝します。」
「まず一歩やってみよう。」
こうした言葉を、自分自身に向けてみる。
もちろん、それだけですべてが解決するわけではありません。
しかし、その言葉を毎日繰り返すことで、自分の心の向きが少しずつ変わっていくことはあるでしょう。
私は以前から、感謝という言葉を大切にしてきました。
そして、朝晩のアファメーションや、一日の終わりに「今日良かったこと」を振り返ることも続けています。
これらも考えてみれば、自分の心にどんな言葉を届けるかという実践です。
空海の「真言」という壮大な思想を、私たちの日常にまで降ろして考えるなら、「自分の人生に、どんな言葉を響かせていくのか」という問いになるのかもしれません。
仏陀は、苦しみを見つめました。
龍樹は、あらゆるものに固定した実体がないことを「空」として喝破しました。
そして空海は、その「空」を知ったうえで、現実の世界を生きる私たちに、「この身、この人生、この世界の中に、仏の智慧は働いている」と示しました。
私は、この流れがとても美しいと思います。
「すべては空だから何もない」のではない。
固定されたものがないからこそ、私たちは変わることができる。
決まっていないからこそ、新しい縁が生まれる。
過去だけで未来が決まっていないからこそ、今日という一日にも可能性がある。
そして、その可能性を育てるために、私たちは言葉を持っている。
だから今日、自分自身にどんな言葉をかけるでしょうか。
「もう遅い」と言うでしょうか。
それとも、「まだこれからだ」と言うでしょうか。
「私は駄目だ」と言うでしょうか。
それとも、「今日もよく頑張った」と言うでしょうか。
人生は、言葉だけで変わるものではありません。
しかし、言葉によって心の向きが変わり、心の向きによって行動が変わることはあります。
そして、その小さな変化が、いつか人生の大きな変化につながることがあります。
婚活も同じです。
まだ出会っていないだけかもしれません。
まだ気づいていないだけかもしれません。
まだ人生の途中なのかもしれません。
空海が千年以上の時を超えて私たちに伝えてくれるのは、「あなたは、あなたが思っている以上に大きな可能性を持っている」という智慧なのではないでしょうか。
人生も婚活も、すぐに答えを出す必要はありません。
目の前のご縁を大切にする。
自分を決めつけない。
人を決めつけない。
そして、自分自身に、そして出会う人に、温かな言葉を届けていく。
その一つひとつが、やがて自分自身の人生をつくっていくのだと思います。
暑い夏の日、少し立ち止まって深呼吸してみましょう。
空を見上げてみましょう。
蝉の声を聞いてみましょう。
そして、自分自身に静かに言ってみてください。
「今日もありがとう。」
もしかすると、その何気ない一言の中にも、空海が千年以上前に見つめていた「真言」の智慧が、静かに息づいているのかもしれません。










