
パートナー代表の高橋俊哉です。もういい飽きた感も強いのですが、とにかく毎日あっつい!ですね。こう続くと、何をするのもおっくうだ、冷房代が嵩むよ~、買い物にも行きたくない、日焼けが辛い、冷たいものばかり摂っていてどうも身体がだるい、などなど。そうでなくても日々辛く苦しいことも多いのに、これでは、婚活も人生もままならない、と感じられてしまいますね。そこで今日は、約2500年のもの間、人々の悩み、苦しみ、絶望、思考停止などから救ってくれてきた仏の智慧5つのご案内です。皆さまの心に響けば幸いです。
①日日是好日(にちにちこれこうじつ):これは、どんな日もかけがえのない1日である、という意味です。晴れの日、雨の日、嵐の日…。どんな一日も二度とはない貴重な一日なのです。自然の力には人間は太刀打ちできませんし、良し悪しを判断しているのは自分の心であることに気づくと、こんな日もありだな、と思えるようになります。空の雲のかたちも日々違っているように、私たちの日常、婚活の状況も少しづつ変化しています。どんな一日も、ありのままに味わってみることが大切なのです。
⓶ただ今日すべきことを熱心になせ(ただきょうすべきことをねっしんになせ):私たちの悩み、苦しみは過去への後悔か未来への不安が原因であることが多いものです。過去はどう願っても変えられないし、未来のことは誰にもわかりません。食事をするときは一口一口に集中していただく、コーヒーやお茶を喫するときは香りや熱さを楽しみながらじっくりと味わう。学業や仕事や婚活でも今できる目の前のことだけに没頭する。結局できることは、今、目の前にあることだけなのです。今この瞬間に集中するこができれば心も静かに穏やかになっていくことを実感できるようになっていきます。
③南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ):なんだ、これは葬式の時にお坊さんからよく聞くし、死を思い起こさせるな、という方々が多いかもしれません。南無は、礼拝や敬意を表すときに使用する言葉で、「帰依する(尊敬する、おまかせする)」という意味のなります。阿弥陀は「アミターユス」と「アミダーバ」の二つの言葉が由来で「果てない光、無量の命」を表しており、「永遠の命」をもつ阿弥陀仏という仏様のこと。つまりは「永遠の命をもつ仏様(阿弥陀仏)を信じてすべてをおまかせする」という意味なのです。婚活や人生のどうしようもない辛さ・苦しみを仏さまに預けよう、お任せしよう、と委ねてしまうことができるという誠に有難い言葉なんですね。
④此亦過去(これまたすぎゆく):仏教では、あらゆる現象は絶えず変化し、どんな幸福も苦しみも、いずれは過ぎ去るものだと説かれます。どんなに困難な状況でも、それが永遠に続くわけではないので、大失敗、失業、失恋、病気などに苦しんでいるときも、「これもいずれ過ぎ去る」と考えられれば、前向きに生きることができる、という教えです。逆に、成功や幸福もいつまでも続くわけではないから、油断せず、慢心せず「この幸せもいずれ終わる」と自覚しつつ、今この瞬間を大切にしなさい、というわけです。
⑤自灯明・法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう):仏陀、すなわちお釈迦様は亡くなる前、弟子たちから「これから何を頼りに生きていけばいいのでしょう」と問われたとき、「自らを灯明とし,自らを頼りとして,他を頼りとせず,法を灯明とし,法を頼りとして,他のものをよりどころにせずあれ」と語られたといわれています。「灯明」とは,あかり,ともしびのことです。まずは、自分自身で考えなさい。自分の経験や知恵を信じて。自身をともし火として判断しなさい。しかし、もし、迷うことがあったなら、法(お釈迦様の教え)を拠り所としなさい。これまでの婚活や人生の中で苦労し、培ってきた経験や知識は、あなたの判断の拠り所です。自分自身に信念を持って、自分の考えで判断しなさい。あなたは、それができる人です。しかし、自身の経験や知識を越えた課題が生じた時、判断に迷うことがあります。そのときは、法(お釈迦様の教え)を拠り所としなさい。ということです。自分自身で苦難を乗り越えるべく最善を尽くしてそれでも難しいときは仏教の智慧に依拠しなさいということです。*法とは、この世の法則(諸法・理法)この世界が常で無いこと・すべての物を移ろい行くこと・自分自身は自然の一部として生かされていること・愛する人との別れは、いつか必ず来ること・むやみに生き物を殺さないこと・人の物を盗まないこと・不倫をしないこと・お酒を飲んで泥酔しないこと・嘘をつかないこと・・・・)
今日ご案内した5つのことばをご自身で味わい、声に出してみてください。こころの中に留め置いて、朝に夜に繰り返し復唱していくと心の霧が少しづつ晴れて、生きるチカラが湧いてきますよ。なかなかうまくいかない婚活、人生ですが、カウンセラー高橋は、仏教の智慧の中に一筋の光明が見いだせると信じています。