パートナー代表の高橋俊哉です。

8月も目前となり、今年も本格的な酷暑の季節を迎えました。強い日差しの中を歩いていると、つい足早になり、目の前のことだけで精一杯になってしまいます。しかし、ときには立ち止まり(帽子日傘もどうぞお忘れなく(笑))、ゆっくり空を見上げたり、風の音や木々の揺れる様子に耳を傾けたりする時間も大切なのではないでしょうか。忙しい毎日だからこそ、心に少し余白をつくることが、人生を豊かにしてくれるように思います。

今日は、中国の古典『荘子』から、人生や婚活にも通じる智慧について考えてみたいと思います。

荘子は今から二千年以上も前に生きた思想家ですが、その教えは現代を生きる私たちにも驚くほど新鮮な気づきを与えてくれます。荘子が伝えたかったことを一言で表すなら、「もっと自由に生きてもよいのではないか」ということに尽きると思います。

私たちは知らず知らずのうちに、「こうあるべき」という考えに縛られています。

仕事はこうあるべき。

結婚はこうあるべき。

成功とはこういうもの。

幸せとはこういうもの。

もちろん、それらは人生の一つの目安になります。しかし、それだけが唯一の答えなのでしょうか。

荘子は、その「当たり前」を一度疑ってみることを勧めています。

荘子の中でも最も有名な話が「胡蝶の夢」です。

ある日、荘子は蝶になって自由に飛び回る夢を見ました。目が覚めると自分は人間の荘子でした。しかし彼は不思議なことを考えます。

私が蝶になった夢を見たのか。それとも今、この私こそ蝶が見ている夢なのだろうか。」

一見すると不思議なお話ですが、この寓話が伝えようとしていることはとても深いものです。

私たちは、「自分が見ている世界こそ現実だ」と信じています。しかし本当にそうでしょうか。

以前、このブログで唯識という仏教思想をご紹介しました。唯識では、「私たちは現実そのものではなく、自分の心を通した世界を見ている」と説きます。

荘子もまた、「自分が正しいと思っている世界は、本当に唯一の世界なのだろうか」と問いかけています。

婚活でも同じことがあります。

「自分には魅力がない。」

「もう年齢的に遅い。」

「理想の相手はこういう人だ。」

そう思っていることが、本当に事実なのか、それとも自分が作り上げた思い込みなのか、一度立ち止まって考えてみることも大切なのではないでしょうか。

もう一つ、荘子を代表する考え方に「万物斉同」があります。

少し難しい言葉ですが、「この世のものは本来、優劣や上下で分けられるものではない」という考え方です。

私たちは、つい比べてしまいます。

年収が高いか低いか。

若いか年齢を重ねているか。

成功したか失敗したか。

しかし、その基準は誰が決めたのでしょう。

例えば、背の高い木は立派に見えます。しかし台風では真っ先に折れてしまうことがあります。一方、小さな草は風に身を任せながら生き延びます。

どちらが優れているとは簡単には言えません。

婚活でも、「条件が良い人ほど幸せになる」と思われがちです。しかし私は長年、多くのご夫婦を見てきて、そのような単純なものではないと感じています。

本当に幸せなご夫婦には、お互いを思いやる心があり、一緒に笑い合える空気があります。

数字では測れないものこそ、人生では大切なのだと思います。

そして私が特に好きなのが、「無用の用」という教えです。

荘子には、大きな木のお話があります。

その木は曲がっていて木材には使えませんでした。そのため誰も切ろうとしませんでした。

ところが、その木は長い年月を生き、多くの人に木陰を与え続けます。

役に立たないと思われたからこそ、生き永らえることができたのです。

現代社会では、「役に立つこと」が重視されます。

効率。

成果。

生産性。

もちろん、それも大切です。

しかし、人間の価値まで「役に立つかどうか」で決めてしまってよいのでしょうか。

婚活でも、「自分には特別な取り柄がありません」とおっしゃる方がいます。

私は、そのたびに思います。

優しい人。

人の話をよく聞ける人。

一緒にいると安心できる人。

そんな魅力は、履歴書には書けません。しかし結婚生活では、そうした人柄こそ何より大切なのです。

「役に立つこと」だけが価値ではありません。

その人が、その人らしく存在していること自体に、大きな意味があるのだと思います。

さらに荘子は、「心斎(しんさい)」や「坐忘(ざぼう)」という教えも説いています。

どちらも、一度心を静かにし、先入観や執着を手放すという修養です。

私たちは考え過ぎることがあります。

「あの人は私をどう思っただろう。」

「失敗したらどうしよう。」

「断られたら恥ずかしい。」

そんな思いが次々に浮かび、心がいっぱいになってしまいます。

しかし心がいっぱいでは、新しいものは入りません。

婚活でも、「こういう人しか駄目だ」と決めつけていた方が、少し心を柔らかくした途端、思いがけないご縁に巡り会われることがあります。

人生とは、不思議なものです。

を入れ過ぎるとうまくいかず、肩の力が抜けた頃に道が開けることがあります。

私はこれまで多くの会員様と面談を重ねてきました。

成婚される方に共通しているのは、最初から自信満々だった方ではありません。

悩み、迷い、時には落ち込みながらも、自分を責め過ぎず、一歩ずつ歩み続けた方です。

その姿を見ていると、荘子の教えが少し分かるような気がします。

人生は勝ち負けではありません。

人と比べる競争でもありません。

自分らしく自然に生きること。

その中で出会った人を大切にし、自分自身も大切にすること。

それこそが、本当の豊かさなのではないでしょうか。

以前、このブログでは唯識をご紹介しました。『イクストランへの旅』では、「世界を止める」という考え方を学びました。『こうして無意識が現実になる』では、無意識が人生を方向づけることを考えました。そしてモーパッサンの『首飾り』では、「幸福」と「不幸」は途中では決められないということをお話ししました。

荘子の智慧は、それらをさらに大きな視点から包み込んでくれるように感じます。

世界を変えようと頑張る前に、自分の心を少し自由にしてみる。

「こうでなければならない」という思い込みを、少しだけ手放してみる。

すると、今まで見えなかった景色が見えてくるかもしれません。

人生も婚活も、決まった正解を探す旅ではないのでしょう。

その時々の出会いを受け入れ、自分らしく歩み続ける旅なのだと思います。

荘子は、「もっと肩の力を抜いて生きてもいいのですよ」と、二千年以上の時を超えて、静かに私たちに語りかけているように思います。

暑い夏の日だからこそ、少し立ち止まり、風の音に耳を澄ませ、自分の心にも耳を傾けてみてください。

風は誰にでも平等に吹いています。違うのは、風そのものではなく、その風をどう受け止める私たちの心なのかもしれません。

その静かな時間の中にこそ、人生や婚活を豊かにしてくれる荘子の智慧が、今もなお静かに息づいているのかもしれません。