パートナー代表の高橋俊哉です。新年となりましたが、1月も矢のように時が過ぎていきますね。既に正月気分も吹っ飛んでお仕事や学業などに邁進されている方も多いと思います。婚活をしていてもなかなかうまくいかないこともあります。人生においても、人間関係に悩み、他人との競争にも疲れ、モヤモヤが晴れない状態が続いているという方もあると思います。年の初めでもあり、そんな皆様のために、カウンセラー高橋が何度も読み返しては味わい深く親しんでいる書、『歎異抄』について、今を生きる人、婚活者の方に向けて、5つのポイントを記してみたいと思います。
歎異抄については、既に読んだことあるという方もあれば、名前は聞いたことがあるなあ、学生時代日本史の授業で習ったかな、そんなん知らんけど、などなどいろいろだと思います。実は、多くの学者、文学者、哲学者などが歎異抄を絶賛しています。哲学者の三木清は、「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる。」ドイツの哲学者ハイデカーは「もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう。」作家司馬遼太郎は「無人島に1冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ。」その他にも西田幾多郎、吉本隆明、遠藤周作等々。数多くの知識人や文学者たちが深い影響を受け、自らの思想の糧としてきました。歎異抄は、浄土真宗を開いた親鸞聖人の直接の教えを、そば近くで聞いていた唯円が書いたとされています。古典などに少し知識のある方は、すう―と読めるかもしれません。が、この本は数々の逆説的な教えや、常識では計り知れないことがらなどが、極めがたい仏道修行に一途に邁進していた高僧が語ったとされる書物なのでとてもとても一筋縄でいかないものです。とてもカウンセラー高橋などがご案内できるようなものではありません。未読で興味を覚えた方は、数多くの解説書や関連書が出ていますので、大海に小さな船で漕ぎ出すようなおつもりでそれらに当たっていただけたらと思います。ここでは、あくまでカウンセラー高橋が今日まで何度も何度も読み返して考えてきたことを書いてみます。
1.今のありのままの自分で救われる。:仏教は元来厳しく自分を律して、厳しい修行を重ね、数多の仏典を学び、完全無欠な高み、つまり悟りを開き、自ら仏になることを究極の目的としていました。しかしながらどんなに修行を重ねても完全無欠な人にはなりえないのです。自分自身でも本当の自分の事は分からないし、どちらかといえば善人だと自認していても、嫌な面、ずる賢い面、暗い面、人の不幸を喜ぶ面などまさに悪人としての一面を備えているのが人間なのです。自分が悪人であることを自覚し、それでも救われる、そんな悪人だからこそがっちり掴んで浄土に導いていただけると思うと、心から自らを預けることができるのだ、と思え安心できるのです。
2.大きな存在=阿弥陀如来がなんとかしてくれる。:では、誰がそんな不完全で多くの欠点を持っている自分を救ってくれるのか、というとそれは阿弥陀如来なのです。阿弥陀如来は元々人間で法蔵という名の国王であったとのことです。出家をし修行を重ね、阿弥陀如来になったとされています。48の誓いを立てて、これらが叶えられないうちは仏にはならないと誓い、更に修行を重ねていきました。その中の18番目の誓いで、あらゆる人々が、信じて願って極楽浄土に往生したいと欲したらその願いを叶えよう、と誓われたのです。
3.念仏を唱えるだけでよい。:ではどうしたら、なんとかしてくれるのかというと、念仏を唱えるだけでよいということです。南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ、これは、「わたくしは、はかりしれない光明、はかりしれない寿命の阿弥陀仏に帰依いたします」という意味となります。帰依とはよりどころ、頼りにすることという意味。つまり信じるてすがるということです。心の底から信じ切って、念仏を唱えることが最も大事なことです。
4.出来事に一喜一憂してもしかたがない。:人生や婚活では良いことも悪いことも、自分のチカラの及ばない必然と偶然の複雑な絡み合いの結果なのです。これが続いていく中に自分が存在しています。必然が因、偶然が縁、つまり因縁から結果生じていきます。この大きな仕組み、システムは、自分としては知ることはできないものです。自分さえ良ければ良い、オレがオレが一番、私は能力が高いから成功している、組織を動かしているのは自分だ、などど思いがちですが、これこそ過信であり、自分の都合だけで物事を理解しようとしている姿勢です。はるか昔から今に至るまで連綿と続いている業縁というものがあるから自分がある、と思えれば物事に対する執着がいくらか減り、他者に対する寛容の心も生まれてきます。この世の中は不条理で矛盾と苦しみに満ちているものなのですから。
5.慈悲の実践を自然に行えるように感じてくる。:他者に思いやりをもって接することが大事だ、と教育されてきましたが、実際に実行してみると、相手がそれほど喜んでくれなかったり、逆に余計なお世話だ、と言われてしまうこともあるものです。相手の心情や置かれている状況がすべて把握できないので、当たり前のことなのでしょう。一方仏教で最も大切なことは慈悲の実践だといわれます、抜苦与楽と呼ばれるように苦しみを根本から抜いて安楽を与えることだとされています。が、具体的にはどうすればよいのでしょうか。実は、歎異抄にはこのことも念仏を唱えることだけでよいのだ、と書いてあるのです。そうすればやがて仏となって、人々を救うことができるようになるから、と説かれています。そうすると不完全で出来損ないの自分、悪人そのものである自分は何もしなくてもよいのでしょうか。大きな存在を信じて、自分自身を委ねていくと、自分一人では生きていけないことに気づき、人とのつながりの中で生かされていると実感するようになります。そうすると100点満点ではなくても、人のことを大切に考え、できるだけのことをしてあげたいと考えられ、相手に対してできることを実践し続けていこうと思えてくるように感じています。
歎異抄は、前述した通り、私が題材にするには手に余るものですし、私自身まだまだ理解が足りていないと痛感していますが、今回はあえてご紹介というつもりで書いてみました。仏教のこと、浄土真宗のこと、親鸞聖人のことなど、基本的なことの理解が必要であり、その上で一癖も二癖もあるこの書物を読み砕いていくことは簡単ではありませんが、私は一生お付合いをしていきたいと考えています。皆さまが、なにがしか感じていただけることがありましたら幸いです。