パートナー代表の髙橋俊哉です。

秋らしい日が増えてきました。朝晩には少しひんやりする日もあります。雨も今年は多いですね。季節が変わると、同じ道を歩いていても、空の色や風の匂いまで違って感じられます。空気の流れも変わってきています。気温気圧の変化に気をつけながら、この秋という佳き季節を楽しんで参りましょう。

季節は移っていきますが、道も、建物も、街路も変わっているわけではありません。それなのに、こちらの心の状態によって、同じ景色が明るく見えたり、どこか寂しく見えたりすることがあります。

そんなことを考えていたとき、牧野内大史さんの『現実創造の集合点』という本を読みました。

この本は、以前もご紹介したカルロス・カスタネダの「ドン・ファン」シリーズを背景に、「集合点(アセンブリッジ・ポイント)」という考え方を中心に書かれています。牧野内さんは、ご自身の解説の中で、「現実」とは単純に自分の外側に存在するものでも、脳の中だけに存在するものでもなく、エネルギーが「知覚として組み立てられた姿」として現れている、と説明されています。そして、その「組み立て」が行われる場所を「集合点」と呼んでいます。

正直に言えば、「集合点」という言葉を初めて聞いたときには、少し難しく感じました。

しかし、読み進めていくうちに、私は以前このブログでも書いた「唯識」のことを思い出しました。

唯識では、私たちが見ている世界を、そのまま「客観的な現実」と考えるのではなく、私たち自身の心の働きによって世界が認識されていることを考えます。

もちろん、「集合点」と「唯識」を同じものとして扱うことはできません。仏教思想と、カスタネダの世界観を背景とする牧野内さんの考え方は、それぞれ異なるものです。

それでも、私には一つ、面白い共通点があるように思えました。

それは、

「私たちは、現実そのものを見ているつもりでも、実は自分なりの見方を通して世界を見ているのではないか」

ということです。

たとえば、同じ雨の日でも、「嫌だなあ、洗濯物が乾かない」と思う人もいれば、「久しぶりに庭の植物が喜んでいるな」と思う人もいます。

同じ仕事をしていても、「毎日つらい仕事だ」と感じる人もいれば、「自分が誰かの役に立っている」と感じる人もいるでしょう。

もちろん、雨が降っているという事実や、仕事そのものが存在するという事実が変わったわけではありません。

変わったのは、その出来事を受け取る「見方」です。

そして、その見方によって、私たちが体験する「現実」は大きく変わります。

これは婚活でも、とてもよく感じることです。

結婚相談所では、最初にプロフィールがあります。

年齢、仕事、年収、住んでいる地域、学歴、趣味、家族構成、結婚歴など、さまざまな情報が並んでいます。

プロフィールは大切です。

結婚という人生の大きな選択をするのですから、確認しなければならないこともあります。

しかし、プロフィールを読んだ瞬間に、「この人はこういう人だ」と決めてしまうと、少しもったいないことがあります。

なぜなら、プロフィールは「その人が持っている情報」であって、「その人そのもの」ではないからです。

たとえば、「会社員」と書いてある。

しかし、その人が仕事をしている姿までは分かりません。

「趣味は旅行」と書いてある。

しかし、どんな旅行をして、何に感動する人なのかまでは分かりません。

「穏やかな性格」と書いてある。

しかし、何に怒り、何に笑い、何を大切にしている人なのかまでは、プロフィールだけでは分かりません。

写真も同じです。

写真には、その瞬間の表情が写っています。しかし、その人が一緒に食事をしたときにどんな話をするのか、困っている人を見たときにどうするのか、家族に対してどんな顔を見せるのかまでは写っていません。

だから私は、会員さんに「実際に会ってみないと分からないですよ」と申し上げることがあります。

これは、無理に誰とでも会いなさい、という意味ではありません。

そうではなく、

「まだ分からない部分を残しておきませんか」

ということなのです。

私たちは、人を見るときに、どうしても自分の中にある「集合点」のようなものを通して見ているのかもしれません。

「私はこういう人が好き」
「こういうタイプは苦手」
「こういう仕事の人とは合わない」
「年齢が○歳以上だから難しい」
「離婚歴があるから無理」
「自分とは生活スタイルが違う」

これまでの経験から判断することは、もちろん悪いことではありません。

むしろ、経験は大切です。

ただ、その経験が強くなりすぎると、まだ会ったことのない人まで、過去の経験の中に当てはめてしまうことがあります。

以前、ある人に傷つけられた。

だから、「こういうタイプの人は信用できない」と思う。

以前、うまくいかなかった。

だから、「どうせ今回も無理だ」と思う。

そうすると、目の前にいる人を見ているようで、実は「過去の記憶」を見ていることがあります。

これは相手に対してだけではありません。

自分自身に対しても同じです。

「私は人付き合いが苦手だから」
「私はもう若くないから」
「私は離婚しているから」
「これまで結婚できなかったから」
「自分には魅力がないから」

そう思い続けていると、その言葉が自分自身を見る「窓」になってしまいます。

すると、せっかく目の前に新しい可能性が現れても、

「どうせ自分には無理」

というところから世界を見てしまう。

これは、とてももったいないことではないでしょうか。

牧野内さんの本が問いかけている「集合点」という考え方を、私はそんなふうに日常生活の中で考えてみました。

もし、自分が世界を見る位置を少し変えたら。

もし、相手を見る位置を少し変えたら。

もし、自分自身を見る位置を少し変えたら。

同じ人生でも、見えてくるものが変わるのではないでしょうか。

これは、「考え方を変えれば、嫌なことも全部幸せになる」という単純な話ではありません。

病気になればつらいことがあります。

お金の問題があれば心配になります。

人間関係で傷つけば悲しくなります。

人生には、気持ちの持ちようだけでは簡単に解決できない現実もあります。

だから、「すべては自分の考え方次第」と言い切るつもりはありません。

ただ、その現実をどう受け止め、そこから何を見るのかについては、私たちにできることが少しあるのではないかと思うのです。

たとえば、婚活でお断りされたとします。

「やっぱり自分には魅力がないんだ」

と受け取ることもできます。

一方で、

「今回はご縁が違ったのかもしれない」

「自分に合う人は、まだ会っていないのかもしれない」

と受け止めることもできます。

起きた出来事そのものが違うわけではありません。

でも、その後に見えてくる景色は違ってきます。

もう一度申し込んでみようと思えるかもしれません。

プロフィールを少し見直してみようと思うかもしれません。

今までとは違うタイプの人に会ってみようと思うかもしれません。

そして、思いがけないところからご縁が生まれることがあります。

私は長く結婚相談所の仕事をしてきましたが、人間というのは本当に分からないものだと思います。

「この人はすぐに決まるだろう」と思っていた方が、なかなかご縁に恵まれなかったりします。

反対に、「少し時間がかかるかもしれない」と思っていた方が、思いがけず良い出会いをされることもあります。

人生は、予定表どおりには進みません。

だからこそ面白い。

以前のブログで「衆生本来仏なり」という言葉について書きました。

そのとき私は、「人間は分からない。だからこそ面白い」ということを書きました。

今回、『現実創造の集合点』を読んでいて、そのことがまた思い出されました。

私たちは、自分が見ている世界を「現実そのもの」だと思いがちです。

しかし、もしかすると、それは「今の自分の見方によって組み立てられた現実」なのかもしれません。

だとすれば、

「今までこうだったから、これからもこうだ」

と決める必要はありません。

もちろん、過去をなかったことにする必要もありません。

過去には、過去の意味があります。

失敗した経験も、傷ついた経験も、うまくいかなかった経験も、自分を作ってきた大切な一部です。

ただ、それらを「これからの人生の結論」にしてしまわなくてもいい。

私はそう思います。

婚活でも同じです。

「この年齢だから」

「この条件だから」

「この性格だから」

「これまでうまくいかなかったから」

と、自分で自分の未来を決めてしまわない。

そして、相手についても、

「この人はこういう人だから」

と、会う前から結論を出しすぎない。

少しだけ余白を残しておく。

「まだ分からない」

という余白です。

そこには、不安もあります。

でも同時に、可能性もあります。

「まだ分からない」ということは、「まだ決まっていない」ということでもあるからです。

明日の自分がどうなっているか。

来月、誰と出会うのか。

一年後、どんな生活をしているのか。

誰にも分かりません。

だから人生は面白い。

そして、人との出会いも面白い。

牧野内大史さんの『現実創造の集合点』は、カルロス・カスタネダの「ドン・ファン」シリーズを背景に、「集合点」という独特な考え方から、私たちが「現実」と呼んでいるものについて問いかけています。牧野内さん自身も、この「集合点」を同シリーズでもっとも重要な概念として捉えています。

私は、この本の世界観をそのまま自分のものとして語ることはできません。

「現実とはこういうものだ」と断言することもできません。

ただ、

「自分は今、どこから世界を見ているのだろう」

と問いかけるきっかけにはなるように思います。

そして、それは婚活にも、とても大切な問いではないでしょうか。

「私は今、どんな目で相手を見ているのだろう」

「私は、自分自身をどんな目で見ているのだろう」

「過去の経験から見ているのだろうか」

「それとも、目の前にいる、この人自身を見ようとしているだろうか」

少しだけ見る位置を変えてみる。

すると、昨日まで気づかなかったものが見えてくるかもしれません。

婚活とは、条件の合う人を探すだけの活動ではないと思います。

自分がどんな人生を送りたいのか。

どんな人と一緒にいると、自分らしくいられるのか。

相手とどんな時間を作っていきたいのか。

そして、自分自身をどんな人間として生きていきたいのか。

そうしたことを、もう一度見つめ直す時間でもあるのではないでしょうか。

現実は、突然どこかからやって来るものではないのかもしれません。

私たちが何を見て、何を感じ、何を選び、どんな一歩を踏み出すのか。

その一つ一つの積み重ねの中で、少しずつ人生の景色が変わっていく。

私は、そんなふうにも考えています。

「現実創造の集合点」。

難しい言葉ではありますが、私にとっては、

「自分は、今、どこから人生を見ているのだろう」

と問いかけてくれる言葉になりました。

もし今、婚活がうまくいかないと感じている方がいたら。

もし自分の人生が思いどおりにならないと感じている方がいたら。

すぐに結論を出さなくてもいいのではないでしょうか。

少しだけ、見る位置を変えてみる。

少しだけ、今までとは違う人に会ってみる。

少しだけ、自分自身への言葉を変えてみる。

そして、

「これから何が起こるかは、まだ分からない」

と、ほんの少し余白を残しておく。

その余白から、新しい景色が見えてくることがあります。

人は、分からない。

人生も、分からない。

だからこそ、面白い。

そして、分からないからこそ、まだ先があります。

結婚相談所パートナーは、これからも「婚活と人生の伴走者」として、目の前の条件だけでは見えない、その方の人生そのものを一緒に眺めながら、一歩一歩、歩いていきたいと思います。